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那覇地方裁判所 平成2年(ワ)327号 判決

原告

上頭達子

上頭保

上頭篤

大草瑞江

田中近代

比嘉泉

右六名訴訟代理人弁護士

金城睦

鈴木宣幸

藤井幹雄

被告

沖縄県

右代表者知事

大田昌秀

右指定代理人

大浜長照

外六名

右訴訟代理人弁護士

阿波連本伸

右訴訟復代理人弁護士

武田昌則

主文

一  被告は、原告上頭達子に対し、金八四二万五三四一円、同上頭保に対し金二一八万五〇六八円、同上頭篤、同大草瑞江、同田中近代及び同比嘉泉に対し、それぞれ金一六八万五〇六八円並びにこれらに対する平成二年八月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余は原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告上頭達子に対し、金二一六八万一八三七円、同上頭保に対し金五四三万六三六七円、同上頭篤、同大草瑞江、同田中近代及び同比嘉泉に対し、それぞれ金四三三万六三六七円並びにこれらに対する平成二年八月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告上頭達子(以下「原告達子」という。)は亡上頭昇(以下「亡昇」という。)の妻、同上頭保(以下「原告保」という。)はその長男、同上頭篤(以下「原告篤」という。)はその二男、同大草瑞江(以下「原告瑞江」という。)はその長女、同田中近代(以下「原告近代」という。)はその二女、同比嘉泉(以下「原告泉」という。)はその三女であり、いずれも、亡昇の相続人であって、その相続分は、原告達子は二分の一、その他の原告はいずれも各一〇分の一である。

(二) 被告は、沖縄県立八重山病院(以下「被告病院」という。)の設置者であり、医師佐次田保徳(以下「佐次田医師」という。)を雇用していたものである。

2  医療事故の発生

(一) 亡昇は、平成二年三月一七日午後九時ころ、沖縄県八重山郡竹富町内の道路において、原動機付き二輪車を運転中に転倒し、その際、ハンドルで右側腹部を強打した(以下「本件交通事故」という。)。

(二) 右事故の際、強打した部分にこぶし大の腫脹が生じ、激痛を伴ったので、亡昇は、原告保及び同達子に付き添われて、同日午後九時四〇分ころ、被告病院に到着し、集中治療室(以下「ICU」という。)に入った。

(三) 被告病院の当直医であった佐次田医師が亡昇を診察し、超音波検査及び腹部単純X線検査を実施した結果、腹腔内に出血はあるが、約八〇〇ミリリットルであって、手術が必要な量ではなく、また、遊離ガスは認められなかったので、腸管損傷はないと診断し(以下「第一回診察」という。)、亡昇に対して点滴注射をしただけで、開腹手術等の特別の治療行為をしなかった。

(四) その後も亡昇が激しい痛みを訴え続けたので、原告保は、同日午後一二時ころ、佐次田医師に対し、よく診てほしい旨言ったが、同医師は、出血が見られないので大丈夫である旨告げ、特別の治療行為をしなかった。

(五) 翌一八日午前七時ころにも亡昇が右脇腹の激しい痛みを訴えたので、原告保がその旨を佐次田医師に伝えたところ、同医師は、午前八時の検診の後にX線写真を撮るのでそれまで待ってほしい旨答えた。

(六) その後、午前一一時ころ、佐次田医師は、亡昇の腹部単純X線検査を行い、その結果、遊離ガス陰影が認められたため、はじめて内臓損傷であると診断し(以下「第二回診察」という。)、原告保に対し、「内臓損傷により腹膜炎を起こしかけている。すぐ手術の必要がある。」と説明した。

(七) 手術は、同日午前一一時四五分ころ始まり、同日午後四時ころに終了した。

(八) 亡昇は、その後、回復の兆しを見せないまま、同月二八日午後一一時四五分、被告病院において、十二指腸損傷による胆汁性腹膜炎に基づく呼吸不全のため死亡した。

3  佐次田医師の過失

(一) 十二指腸損傷を見過ごした過失(経過観察義務違反)

(1) 十二指腸損傷は、交通事故による鈍的腹部外傷、とりわけ、ハンドルで右上腹部を強打した場合(以下「ハンドル外傷」という。)に引き起こされることが多い。

十二指腸が損傷した場合は、胆嚢から総胆管を通して十二指腸に流入している胆汁が腹腔内や後腹膜に漏出することとなるが、その場合、胆汁がその化学的機能(主として脂肪を消化分解する。)のため高度の組織障害作用を有していることから、腹腔内や後腹膜の組織を破壊することとなる。したがって、これを放置すると、時間の経過とともに、十二指腸から漏出した胆汁が後腹膜に広がり、広範な蜂窩織炎(フレグモーネ)を招来し、それから、麻痺性イレウス(腸閉塞)、腹部膨隆、脱水、亡尿から、低容量血症を伴った敗血症ショックに至り、ついには、呼吸不全などにより死に至ることとなる。このように、胆汁性腹膜炎は、手術の機会を失すると、患者の死亡に直結する非常に危険なものである。

(2) 一般に、消化管が破裂して腸の内容物や消化液が腹腔内に漏出した場合は、腹膜炎を起こし、受傷後比較的短時間のうちに、高度の筋性防御や反跳痛、圧痛、腸雑音の消失等の典型的な腹膜刺激症状を呈する。

しかるに、十二指腸損傷、特に、十二指腸の後腹膜に位置する部分の損傷の場合は、腸の内容物が腹腔内ではなく後腹膜に漏出するため、受傷の初期には、必ずしも明確な腹膜刺激症状を示すとは限らず、右上腹部の自発痛や腹部の軽微な膨隆のみの場合も多く、また、受傷後数時間ないし十数時間症状のないことがあり、数時間から数日して症状が顕著となることが多い。

(3) したがって、腹部全体に典型的な腹膜刺激症状を呈していなかったからといって、それは、十二指腸損傷を否定する根拠とはなりえないから、ハンドル外傷の場合は、受傷初期に腹膜刺激症状がなくとも、常に、十二指腸などの後腹膜臓器の損傷を疑って、考えられるかぎりの諸検査を実施する必要がある。

(4) すなわち、受傷機序から十二指腸損傷の可能性が少しでも疑われれば、それを常に念頭に置いて軽微な上腹部痛や腹部の膨隆を見逃さずに観察するとともに、次のような諸検査を積極的に実施しなければならない。

① 単純X線撮影

単純X線撮影によって腹腔内遊離ガスないし後腹膜ガスが認められれば、十二指腸損傷の診断を確定することができる。

しかしながら、十二指腸損傷では単純X線撮影によっては必ずしも腹腔内遊離ガスないし後腹膜ガスが現れるとは限らない。

したがって、受傷直後のX線像で著変がなくとも、入念に読影し、さらに繰り返しX線撮影をしなければならない。

また、経鼻胃管から消化管に空気を送り、消化管から空気が腹腔内に漏れるのを促進するなどの方法によるX線撮影をするべきである。

② ガストログラフィンによる造影検査

十二指腸損傷の場合、単純X線撮影によって遊離ガスが確認されることが必ずしも多くないため、患者を右側臥位として造影剤であるガストログラフィンを注入し、十二指腸外へのその流出をみることによって診断する方法が確立されており、これにより、容易に十二指腸損傷が証明できる。

特に、ハンドル外傷の場合には、単純X線撮影では早期に診断することができるとは限らないため、これは、全例に行うべき必須の検査方法とされている。

③ CTスキャン

CTスキャンでは、胆汁等十二指腸液の流出及び少量の気泡、消化管からの出血を認めることができるから、最も早期に十二指腸損傷を診断でき、非常に有用な検査方法であるから、少しでも十二指腸損傷が疑われる場合には、積極的にCTスキャンによる診断をすべきである。

(5) 本件においては、被告病院到着時の当直医による単純X線検査のほか、佐次田医師としては、第一回診察において、単純X線検査二回(三月一七日午後一一時一五分及び三〇分ころ)、超音波検査(同日午後一一時二四分)、腹腔穿刺(同日午後一一時)等の検査を行った後は、その結果(①超音波検査によると腹腔内出血は八〇〇ミリリットル以下であること、②単純X線撮影で、腹腔内遊離ガス及び後腹膜ガスが認められなかったこと、③腹腔穿刺では、血性腹水が採取されただけで、胆汁等は認められなかったこと、④右腹部に発赤、腫脹があり、疼痛を強く訴えていたが、右上腹部に圧痛があるのみで、腹膜刺激症状は軽微であったこと)から、腹腔内の出血は肝挫傷によるものであり、右上腹部痛は胸腹壁損傷であって、開腹手術の必要はないと安易に判断し、十二指腸損傷の可能性を全く念頭に置いていなかったため、翌一八日午前一時ころ及び七時ころにICUで超音波検査を施しただけで、同日午前一〇時三〇分まで、X線検査や腹腔穿刺等の検査は何ら行っていない。

特に、同日の当直看護婦である東江みち子(以下「東江」という。)が、同日午前四時ころ、亡昇の右側腹部の腫脹がやや増強し、背部まで広がっていることを確認し、同日午前五時には、腫脹が右側腹部から背部まで広がり、腫脹自体も増強していることを確認したため、佐次田医師に対し、午前五時ころ、その旨の報告をしたにもかかわらず、佐次田医師は、亡昇を自分で診察することもなく、東江に対し、そのまま様子をみてよいと指示したのみであった。

(6) 前記のように、十二指腸損傷の場合は、必ずしも初期には腹膜刺激症状を呈するとは限らず、単純X線撮影においても、腹腔内遊離ガスや後腹膜ガスが認められるとは限らないから、本件においては、佐次田医師が十二指腸損傷ではないと判断した前記①から④は、その根拠とはなりえない。

むしろ、受傷初期において亡昇が右上腹部痛(これは十二指腸損傷の初期症状の一つである。)を訴え、受傷機序が原動機付き二輪車のハンドルで右上腹部を強打した事故によるものであって、その上腹部にはこぶし大の腫脹があったのであり、また、一七日午後一一時の腹腔穿刺による腹水検査によって、腹水のアミラーゼ値は三一八と正常値(七〇ないし二一六)より高く、白血球値も二万八一〇〇と正常値(四〇〇〇ないし八〇〇〇)より遥かに高い値を示していたのであるから、症状の現れにくい十二指腸損傷の可能性を常に念頭に置いて診察検査にあたるべきであった。

すなわち、さらに頻繁に経時に単純X線撮影を繰り返すべきであったし、経胃管から空気を送ってX線撮影をしたり、特に、ハンドル外傷の場合には全例に実施すべきとされるガストログラフィンによって造影検査をし、あるいは、CTスキャンを実施するなど、積極的な検査を行う義務があった。

しかるに、佐次田医師は、十二指腸損傷の可能性があることを念頭に置かず(佐次田医師が、腹膜刺激症状の発現等患者の状態を注意して経過観察しなければならない場合に、その発現に影響を与えるため使用すべきでないとされる鎮痛剤を亡昇に対して使用していることは、これを示すものである。)、一七日午後一一時三〇分の段階で、漫然と、肝挫傷ないし胸腹壁損傷と診断し、その後は、十二指腸損傷の発見に有効でない超音波検査をしたのみで、それ以外は、同日午後一一時三〇分から翌一八日午前一〇時三〇分までの間、ガストログラフィン造影検査やCTスキャンはもちろん、単純X線撮影を繰り返し行うなどの積極的な検査を何ら行わなかった。特に、東江から前記報告を受けた同日午前五時には消化管の後腹膜部の損傷を疑い、亡昇を直接診察し、X線撮影等必要な検査を行う指示をすべきであったし、同日午前七時に亡昇を診察した際も、東江の報告を念頭に置いて背部の腫脹の増強について診察すべきであったのに、超音波による出血量の確認をしただけであった。そのため、亡昇の十二指腸損傷の発見が遅れた。

このように、佐次田医師には、十二指腸損傷の可能性を念頭に置いた上で、必要な検査を行い、亡昇の状態を的確に把握するとともに、必要な治療を行って、亡昇の症状の悪化及び死亡を防ぐ注意義務があったにもかかわらず、それを怠り、十二指腸損傷の可能性を考えず、亡昇の症状の経過観察を怠り、一七日午後一一時三〇分から約一一時間にわたり、十二指腸損傷の診断のための積極的な検査を行わなかったため、十二指腸損傷による胆汁性腹膜炎の発見が遅れたのであるから、佐次田医師には前記の注意義務を怠った過失がある。

(二) 手術方法の選択の過失

(1) 一般に、十二指腸損傷の手術方法としては、その部位が単純な穿孔である場合には、損傷した腸壁の創面切除を行って損傷部位を直接縫合閉鎖し、その際には、十二指腸の狭窄を避けるため、横軸方向に閉鎖するのが原則である。

しかし、穿孔部が長軸方向に長い場合には、横軸方向に直接閉鎖するのが難しく、また、長軸方向に直接縫合すると狭窄が生じる可能性があるので、直接縫合は避けるべきである。

また、後腹膜の汚染や損傷部の挫滅が大きく、縫合不全の可能性が懸念される場合には、単純に直接縫合するのではなく、損傷部位の一次縫合部を補強するため空腸で補強する方法(空腸パッチ法)を選択すべきである。

(2) 本件の場合、十二指腸の前壁と後壁がそれぞれ長軸方向に八センチメートル以上にもわたり大きく損傷しており、長軸方向に直接縫合すると狭窄が生じる可能性が大きかった。また、手術時点ですでに受傷後一四時間以上も経過しており、損傷部位も大きく、かつ、挫滅している可能性も大きく、さらに、後腹膜の汚染も激しかったのであるから、単純に損傷部位を直接縫合するのでは、縫合不全を起こす蓋然性が高かった。

したがって、単純に損傷部位を直接縫合する方法ではなく、空腸パッチ法等損傷部位を空腸部位で補強するなどの方法をとるべきであった。それにもかかわらず、佐次田医師は、単純に損傷部位を直接縫合する手術方法しかとらなかったのであるから、佐次田医師には前記の過失がある。

4  因果関係

佐次田医師が、遅くとも、一八日午前五時の時点で、亡昇の背部の腫脹に特に留意して診察すれば、後腹膜まで炎症が進行していることに気づくことができたはずであり、そうすれば、亡昇は、同日午前一一時四〇分ではなく、もっと早期に手術を受けることができ、後腹膜炎や腹膜炎の進行をくい止めることができ、また、術後に敗血症等を起こすことなく、亡昇は回復することができたはずである。

すなわち、佐次田医師の経過観察義務違反の結果、亡昇は早期に手術を受ける機会を逸し、症状が進行して手後れになったのであるから、佐次田医師の経過観察義務違反と亡昇の死亡との間の因果関係は明白である。

また、佐次田医師は、単純に損傷部位を直接縫合する手術方法しかとらなかったため、手術後、亡昇の十二指腸の縫合部位に縫合不全が生じ、それにより、縫合部位が離開して、そこから、胆汁などが腹腔もしくは後腹膜に漏出し、亡昇は、胆汁性腹膜炎をますます悪化させて死亡するに至ったのであるから、佐次田医師の手術方法の選択の過失と亡昇の死亡との間には因果関係がある。

5  被告の責任

被告は、佐次田医師の雇用者として、民法七一五条により、同医師の過失による原告らの受けた後記損害を賠償すべき責任がある。

6  損害

(一) 亡昇の損害

(1) 逸失利益

金一四四二万一五二二円

亡昇は、死亡当時六四歳である。昭和六三年度賃金センサスによればその平均収入は金三六四万八一〇〇円である〔なお、亡昇は、生前、民宿「泉荘」を経営しているところ、近隣の民宿の原価率(平均27.7パーセント)、経費率(平均44.2パーセント)に民宿「泉荘」の年間客数(四〇一四人)をもとに計算すると、売上額は金一六〇五万六〇〇〇円、原価額は金四四四万七五一二円、経費額は金七〇九万六七五二円で、年間所得額は金四五一万一七三六円となる。〕。そして、昭和六三年度簡易生命表によればその平均余命は16.70年で、就労可能年数は簡易生命表の二分の一であるから、8.35年であり、その生活費控除率は四〇パーセントである。

よって、亡昇の逸失利益は、少なくとも、金364万8100円×6.5886(八年に相当する新ホフマン係数)×(1−0.4)=金1442万1522円である。

(2) 慰謝料 金二五〇〇万円

亡昇は、沖縄県八重山郡竹富町で民宿「泉屋」を経営し、また、同町教育委員会の委員長を努めるなど、公私ともに活躍中であったところ、佐次田医師の過失により死亡するに至ったものであり、このような形で人生を終えなければならなかった亡昇の精神的苦痛を慰謝するには、少なくとも金二五〇〇万円を要する。

(3) 原告らは、亡昇の右損害を、法定相続分どおり、原告達子が金一九七一万〇七六一円、その他の原告が各金三九四万二一五二円相続した。

(二) 原告保の損害

原告保は、亡昇の葬儀費用として、少なくとも、金一〇〇万円支出した。

(三) 弁護士費用

金四〇四万二一五一円

原告らは、被告が原告らに誠意ある態度を見せようとしなかったため、弁護士に訴訟の追行を委任した。その費用としては、右(一)及び(二)の合計額の一割が相当である。

(四) まとめ

以上を整理すると、原告らの損害額は、原告達子が金二一六八万一八三七円、原告保が金五四三万六三六七円、その他の原告が各金四三三万六三六七円の合計金四四四六万三六七二円となる。

7  結論

よって、民法七一五条一項に基づき、被告に対し、原告達子は金二一六八万一八三七円、同保は金五四三万六三六七円、同篤、同瑞江、同近代及び同泉は、各金四三三万六三六七円並びにこれらに対する本訴状送達の日の翌日である平成二年八月一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1(一)の事実は知らない。同1(二)の事実は認める。

2  請求原因2(一)及び(二)の各事実はいずれも認める。

同2(三)の事実のうち、腸管損傷はないと診断したことは否認する。佐次田医師は、このほか、腹腔穿刺の施行、血性腹水の採取をし、それらの結果を総合的に判断して、「腹腔内出血が約八〇〇ミリリットル程度あるが、現時点では手術適応とはならない。経過観察する必要があり、ICUに入室して出血量をチェックし、増えてくれば手術になることもありうる。腸管の損傷や胆嚢の損傷を示す所見が後になって出てきた場合は手術になる可能性がある。」旨説明した。また、点滴注射をしただけであることは否認する。佐次田医師は、このほか、パクセル五本を指示して準備させたり、午後一一時三〇分から翌一八日午前一時三〇分ころまで、亡昇に付き添って経過観察した。その余の事実は認める。

同2(四)及び(五)の各事実はいずれも否認する。

同2(六)の事実のうち、具体的な文言は否認する。

同2(七)の事実については、麻酔開始は三月一八日午前一一時四八分、同終了は同日午後三時四〇分、手術開始は同日午後零時八分、同終了は同日午後三時三五分である。

同2(八)の事実のうち、亡昇が死亡したことは認め、その余の事実は否認する。亡昇は、十二指腸損傷による胆汁性腹膜炎によるものと思われる敗血症を併発し、DIC(汎発性血管内凝固症候群)及びARDS(呼吸窮迫症候群)なども加わり、結果としてARDSによる呼吸不全のため死亡したものである。

3(一)  請求原因3(一)、同(二)は、いずれも争う。本件亡昇の鈍的腹部外傷の処置としての医療行為として、佐次田医師のとった措置は、以下のように、適切であった。

(二)  請求原因3(一)について

(1) 鈍的腹部外傷における腹腔内出血の開腹手術の適応は、急速に出血量が増加しバイタルサインが不安定になる場合、一〇〇〇から一五〇〇ミリリットル以上の出血が認められる場合、特殊な血液型のため輸血用血液の確保が困難な場合、胆道及び膵管損傷が疑われる場合、管腔臓器の損傷が疑われる場合である。

まず、管腔臓器の損傷を疑う上で重要な所見としては、腹部の理学的所見における腹膜刺激症状の有無が最も大事であり、腹部X線撮影における腹腔内遊離ガスの存在が決め手となる。

つぎに、胆道損傷を除外診断するためには、腹腔穿刺により腹水の症状を確認することが必要であり、また、膵管損傷を疑って血清アミラーゼ検査も行う必要がある。

(2) 本件の場合、第一回診察における腹腔内出血の量は、超音波検査の所見から約八〇〇ミリリットルと推定され、その後もその増加は認められず、バイタルサインも安定していた(なお、当初、亡昇は低血圧であったが、出血による循環血液量の減少に伴う頻脈は認められず、また、その後、血圧も上昇していることから、これは、亡昇の大量飲酒に伴うものと判断できる。)。

また、亡昇の血中アミラーゼは一七二somであり、正常値(七〇ないし二一六som)内であり、腹腔穿刺により得られた腹水内のアミラーゼ値(膵外傷や腸管損傷の際に上昇する。)は、三一八somであり、血中値の二倍を下回っており(腹水アミラーゼは血中値の二倍以内が正常値とされている。)、有意な上昇を示していなかった。

なお、腹水中の白血球検査値は二万八一〇〇であるが、これは機械により測定された数値であり、機械による測定値は現段階でも研究段階であり、正常値も定まっておらず、本件当時のみならず現段階でもその信頼性に問題があるから、これ自体をもって腸管の損傷を示唆するととらえることはできない。

そして、亡昇は泥酔状態で被告病院に来院してきたために、理学的所見をきちんととれる状態ではなかったが、応答は可能であったところ、右上腹部に圧痛のみ認め、反跳痛、筋性防御、腸雑音の低下はないなど、明らかな腹膜刺激症状は認められなかった。

(3) このように、理学的所見や症状は腸管の破裂に否定的であったが、佐次田医師は、腸内細菌による腹水の汚染の可能性、つまり、腸管の破裂の可能性をも念頭に置き、処置を進めた。

すなわち、まず、腹腔内出血に対する処置を行い、中心静脈圧ラインを挿入し、膀胱内留置カテーテルを留置し、輸血の準備を行い、いつ手術の必要性が生じても適切な処置を行えるようにした。

また、約一時間後に、再度、腹部単純X線写真の撮影を指示したが、その際、特に、腹腔内遊離ガスの有無をはっきりさせるため、右側臥位により撮影した。

そして、再度、超音波検査を施行し、理学的所見をとり、腹腔内出血の増量がないことを確認した後に、ICUに入室させた。

(4)① その後も、佐次田医師は、経時的に腹腔内出血をモニターし、理学的所見を丹念に採取して、細心の注意を払って経過観察を行った(亡昇をICUに入室させた際、腹腔内遊離ガス像をチェックするために、翌朝に左側臥位での腹部X線撮影をするよう指示していることからも、佐次田医師は、安易に、腹腔内出血、肝挫傷の診断に甘んじていたわけではないことが認められる。)。

② しかしながら、第二回診察における腹部単純X線写真を見るまで、腸管の破裂を示唆する理学的所見又は検査上の所見や症状が認められなかった。

③ すなわち、腹膜刺激症状は、上腹部の圧痛のみであり、瀰漫性ではなく、限局しており、しかも、それは、経過観察の間に軽減していった。

通常、腸管の破裂の認められる場合は、患者は強い自覚痛を訴え、反跳痛、筋性防御などの腹部所見を呈し、それらは、手術に至る処置を講じなければ増悪していくものである。

しかしながら、亡昇は、一度は入眠するなど、自発痛の増強する様子がなかった。

上腹部の圧痛にしても、それは、腹壁の損傷によるものも加味されるものであり、また、前胸部から側腹部の腹壁内の血腫貯留によるものと思われるものが多く、これは、腸管の破裂に由来する腹膜刺激症状とは考えにくい。

また、腸管の破裂に留意して経過観察する場合、腹膜刺激症状の推移と腹膜炎を示唆する症状(尿量の減少、体温の上昇、脈拍や呼吸数の増加)及び自発痛が大切であるが、本件の場合はこれを積極的に示唆するものはない。

なお、亡昇に対しては、痛み止めとして、肋間神経ブロック、インダシン、パテックスが使用されているが、いずれも、これらにより、腹膜刺激症状が軽減されることはない。すなわち、十二指腸を含め腹部内臓より痛覚を伝える神経は、肋間神経とは全く別を走行しているから、肋間神経ブロックは、腹膜刺激症状や内臓痛に妨げとならない。また、通常、インダシン座薬五〇ミリグラムの使用で消化管穿孔に伴う腹膜刺激症状が消えることはあり得ない。さらに、パテックス使用による薬物の血中濃度の上昇は極めて微量で全身的な効果は期待できないから、その使用により腹膜刺激症状が軽減されることはない。

④ つぎに、腸管の破裂を証明するための検査には、上部消化管ガストログラフィン造影、腹部単純X線検査、血中及び腹水アミラーゼ定量、腹腔穿刺などがあるが、これらは、患者の症状及び理学的所見を土台にし、かつ、そのリスクを十分に考慮した上で、患者にとって有益かつ安全と判断されたものにつき施行されるべきである。

まず、本件の場合、腹部理学的所見や症状からは、腸管の破裂を示唆する根拠は皆無に近い。また、右側腹部の鈍的腹部外傷という受傷機序が、そのまま、十二指腸破裂の有無を診断するためのガストログラフィン造影の適応と直結するものではない。まして、本件の場合、約八〇〇ミリリットルの腹腔内出血があり、絶対安静を要するのであるから、何回も体位の変換を必要とする十二指腸のガストログラフィン造影は、出血量の増大や嘔吐、それに伴う誤嚥の危険があり、安全に施行しうる保障はなかった。そこで、ガストログラフィン造影は施行していない。

つぎに、腹部X線検査は、二度にわたって詳しく行ったが、腹腔内遊離ガスの存在などの開腹手術適応となる所見は認められなかった。

(5) 翌朝の第二回診察の時点でも、腹部は軟らかく、管腔臓器の損傷時に通常認められる汎発性腹膜炎の所見は認められず、開腹に足る腹膜刺激症状は認められず、むしろ軽快していた。

(6) ところが、その際に撮影した腹部X線検査において、明らかに腹腔内遊離ガスが認められたため、その時点で管腔臓器の損傷が明らかになったので、患者及び家族を説得して開腹手術を行った。

なお、十二指腸破裂は、受傷から診断に至るまで時間がかかることが多く、手術までの時間は、二四時間以内かどうかが一応の境界線とされており、本件の場合、手術の時期は、受傷から約一四時間後、来院から約一三時間後であるから、一般的に見て適切な範囲におさまっており、決して遅きに失したとは言い難い。

(7) このように、本件においては、第一回診察において、鈍的腹部外傷における手術適応となる原因を全て念頭に置いた上で、適切な医療措置、すなわち、必要な検査及び処置が行われている。

また、その後も、いつでも緊急手術を行える準備のもとで二四時間体制をとり、集中治療室において、超音波検査、腹部の理学的診察を行い、注意深く経過観察を行っている。

(三)  請求原因3(二)について

(1) 十二指腸損傷の手術方法については、様々な方法が提唱されており、ある一つの方法が最良の方法として提唱されているわけではないが、原則として、①破裂部の縫合閉鎖、②縫合部の補強、③縫合部の減圧があり、基本的にこれらが種々組み合わされる場合が多い。

(2) 本件では、アルバートランバート縫合により①が、十二指腸へのマルコットカテーテルの挿入により③が、それぞれ施行されている。②は施行されていないが、十二指腸損傷に対する手術方法として、一般的に、①ないし③の全てを必ず施行すべきであるとはされていない。

(3) また、十二指腸損傷の場合、狭窄を避けるために横軸方向に縫合すべきであるとするのは、一般的には正しいといえる。しかしながら、必ずそうしなければならないというものではなく、破裂部が長くて長軸方向に縫合しなければならない場合もあり、縫合方法の選択は術者の裁量の範囲に属する。なお、本件においては、長軸方向に縫合したが、狭窄を起こした証拠はない。

(4) 空腸パッチについても、それは、片側のみに使用することは比較的簡単であるが、本件のように前壁及び後壁の両方に破裂がある場合に使用することは、不可能に近い。なお、本件においては、空腸パッチをしていないが、縫合不全を起こして縫合部位が離開した証拠はない。

(5) 以上のように、本件においては、手術方法として、一期的縫合及び十二指腸の減圧を採用しているが、これは、術者が行いうる最も安全で最良の方法であり、したがって、亡昇に対する佐次田医師の手術方法の選択及び手術自体に過失はない。

4  請求原因4について

亡昇については、開腹時に十二指腸の前壁に八センチメートル、後壁に七センチメートルの破裂が認められており、交通事故受傷時にかなりのダメージを受けていたことが推察されること、亡昇の死亡するに至った可能性としては、手術時にマスク・バッギングで十二指腸を通して空気を入れた際に腸管内の食物残渣が出されるなどして腹腔内が汚染された可能性も十分存すると推察されること、実際の症例を見ても、来院から二時間で手術した症例及び一一時間で手術した症例で死亡という転帰をたどり、かえって、一六時間で手術した症例が治癒という転帰をたどっていることが認められること、以上の事情を考慮すれば、本件で、佐次田医師により適切な治療がなされれば死亡という結果を回避し得たということはできない。

5  請求原因5は争う。

6  請求原因6の事実は、いずれも知らない。

かりに、原告らの被った損害につき、被告に責任が生じるとしても、本件では、亡昇が深夜飲酒して自損の交通事故を起こしたことが契機となっているから、過失相殺ないしその法理の類推により、少なくともその五〇パーセント以上が減額されるべきである。

三  被告の主張に対する反論(過失相殺ないしその法理の類推について)

亡昇が自損の交通事故を起こしたことによって自ら負担しなければならないのは、適切な時期に手術を受けた際の通常の入院によって生じる費用のみであり、それ以外にはない。

患者は、何らかの因子、原因があるからこそ、医療機関で治療を受けるのであるから、患者側に何らかの原因があることを理由として過失相殺類推の法理を適用することは、患者側の被害救済を妨げるものであり、不当である。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  原告保、同泉各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、請求原因1(一)の事実が認められ、同1(二)の事実は、当事者間に争いがない。

二  亡昇の死亡に至る経緯

〈証拠略〉によれば、以下の事実が認められる。

1  本件交通事故による亡昇の受傷及び被告病院への搬入

(一)  亡昇は、平成二年三月一七日午後九時ころ、沖縄県八重山郡竹富町内の道路において、飲酒の上、原動機付二輪車を運転中、転倒し、ハンドルで右脇腹を強打した。

(二)  亡昇は、原告保及び同達子に付き添われ、同日午後九時四〇分ころ、被告病院に到着し、まず、救急室で診察を受けた。

2  第一回診察

(一)  被告病院の当直医であった仲間医師は、午後九時五〇分ころ、亡昇に対して、X線検査をした。

(二)  佐次田医師は、午後一一時ころ、被告病院に行き、仲間医師から引き継ぎを受け、亡昇及び原告保から、亡昇の受傷機序につき、原動機付二輪車を飲酒運転して自損事故を起こし、そのハンドルで右側腹部を打ちハンドル外傷を負ったとの説明を受けた。

(三)  佐次田医師は、まず、亡昇に対して、超音波検査、腹腔穿刺により採取した腹水中のアミラーゼ値検査を実施した。

超音波検査の結果、腹腔内に約八〇〇ミリリットルの出血が認められたが、佐次田医師は、一〇〇〇ミリリットルを越えていないから、右出血に対処するための手術は必要ないものと判断した。また、腹腔穿刺により採取した腹水中のアミラーゼ値は、三一八somで、標準値より高いものの、なお、正常範囲といえるものであった(なお、腹水からの菌培養の検査結果は、同月二一日に判明し、腸球菌が検出された。)。

(四)  また、佐次田医師は、仲間医師が午後九時五〇分ころ実施した単純X線検査は、仰臥位によって撮影されたものであって、腸管損傷の際に発生する腹腔内遊離ガスや後腹膜ガスの有無が判読できないため、午後一一時一五分及び同三〇分ころ、亡昇を左側臥位にして、再度、X線撮影した。その結果、腹腔内遊離ガスや後腹膜ガスは認められなかった。

(五)  また、佐次田医師は、午後一一時二三分、同二七分に超音波検査をし、腹腔内出血量の増量がないことを確認した。

(六)  佐次田医師は、また、理学的所見では、上腹部に限局する圧痛のみ認められ、瀰漫性の腹膜刺激症状は呈していないと判断した。

(七)  なお、血液検査の結果は、白血球値は二万八一〇〇であり、正常値(四〇〇〇ないし八〇〇〇)よりかなり高く、GOT値、GPT値も高かった。血圧は五五から一〇〇、脈拍は八〇、尿量は四〇から八〇ミリリットルであった。

(八)  以上の検査及び診察の結果から、佐次田医師は、亡昇につき、右圧痛は肋軟骨又は肋骨骨折と胸腹壁損傷に由来するものであり、GOT値、GPT値が高いので、肝挫傷に伴う腹腔内出血があるが、現時点では腸管損傷はないと診断し、胆嚢外傷による胆汁性腹膜炎に注意して経過観察することとし、午後一一時三〇分ころ、亡昇を、救急室から集中治療室(以下「ICU」という。)に移した。

3  第一回診察から第二回診察までの状況

(一)  その後、亡昇が激しい痛みを強く訴えたので、原告保は、翌一八日午前零時ころ、佐次田医師に対し、よく診てほしい旨言った。

佐次田医師は、そのころ、膀胱カテーテルの挿入によるテネスムス症候に対応するため、亡昇に対し、鎮痛剤であるインダシン座薬を投与し、また、マーカインによる肋間神経ブロックを実施した。その結果、亡昇の腹痛は緩和された。

(二)  佐次田医師は、午前一時ころ、亡昇に対し、超音波検査をした後、仮眠をとるため、医局に行ったが、その際、当直の東江看護婦に対し、何らの指示もしなかった。

(三)  午前一時ころ、亡昇は、食物残渣を嘔吐した。その後、午前一時四〇分ころ、亡昇はいったん入眠した。

(四)  午前四時ころ、東江看護婦は、亡昇の右側腹部の腫脹がやや増強していると感じた。また、亡昇からパテックス(湿布剤)を貼って欲しいと言われ、亡昇の右側腹部から背部にかけてこれを貼った。

(五)  東江看護婦は、午前五時ころ、亡昇の右側腹部の腫脹が背部にまで広がり、その増強がはっきりと確認できたことから、佐次田医師に判断を求めるため、電話でその旨を報告した。

これに対し、佐次田医師は、腹痛は軽減しており、血圧、呼吸、脈拍などのバイタルサインが安定し、尿量が保たれていたことから、腹部の腫脹は腹部臓器の損傷に由来するものではなく胸腹壁損傷に由来するものであると判断し、東江看護婦に対し、様子をみてよいと指示した。

(六)  同日午前七時ころ、亡昇が右脇腹の激しい痛みを訴えたので、原告保がその旨を佐次田医師に伝えた。

佐次田医師は、亡昇に対し、超音波検査をし、腹腔内出血が約八〇〇ミリリットルと増量が見られないことを確認した。

(七)  佐次田医師は、午前八時ころ、亡昇が腹痛を訴えているとして呼ばれ、亡昇を診断した。

佐次田医師は、亡昇に、反跳痛や腸雑音の低下などの腹膜刺激症状はなく、右上腹部に圧痛が強くあっただけであったことから、亡昇の腹痛は、腹膜刺激症状によるものではなく、胸腹壁損傷によるものと判断した。そして、その痛みをとるため、硬膜外麻酔することとし、亡昇からその承諾を得た。

(八)  鳩崎医師及び石田医師は、午前九時ころ、合同回診を行い、亡昇を診察した。その際、石田医師が超音波断層検査をしたところ、腹腔内遊離ガスを疑わせる所見があった。

(九)  佐次田医師は、午前一〇時ころ、亡昇に対し、胸腹壁の痛みをとることを目的として、硬膜外麻酔を挿入した。

4  第二回診察

(一)  佐次田医師は、同日午前一〇時三〇分ころ、亡昇を左側臥位にして、X線検査を行ったところ、腹腔内遊離ガス、後腹膜ガスが認められた。

そこで、佐次田医師は、消化管損傷であり、開腹適応であると診断した。

(二)  佐次田医師は、原告保に対し、「内臓損傷により腹膜炎を起こしかけている。すぐ手術の必要がある。」と説明し、その承諾を得て、手術することとした。

5  本件手術及びその後の経過

(一)  佐次田医師は、石田医師を助手として、同日午前一一時四五分ころ、亡昇に対して手術(以下「本件手術」という。)を開始した。

(二)  佐次田医師が亡昇を開腹すると、亡昇の十二指腸は、第二部において、その前壁が約八センチメートル、後壁が約七センチメートルにわたって縦に裂けており、そこから漏出した胆汁や消化液、食物残渣等によって、腹腔内全体や後腹膜腔がかなり重篤に汚染されていた。

そこで、佐次田医師は、可能なかぎりその汚染を除去すべく、腹腔内と十二指腸の授動により開設した後腹膜腔を大量の生理的食塩水で洗浄し、右裂傷部分をアルベルトランバート縫合によって単純縫合した。また、修復部に圧がかからないように、アルコットカテーテルによる十二指腸瘻を造設した。

(三)  右手術は、同日午後四時ころに終了した。

(四)  その後、亡昇は、胆汁性腹膜炎による敗血症を起こし、三月二七日には腎不全を併発し、同月二八日午後一一時五五分、被告病院において、十二指腸破裂による胆汁性腹膜炎に基づく成人呼吸窮迫症候群(ARDS)による呼吸不全のため死亡した。

三  佐次田医師の過失

1  十二指腸損傷を見過ごした過失について

(一)  佐次田医師は、本件診療に際し、医師として、その有する専門の医学上の知識と技術とをもって亡昇の腹部外傷を検査診断し、かつ、適切な経過観察のもとに治療を施すべき義務がある。

(二)  〈証拠略〉によると、以下の事実が認められる。

(1) 腹部外傷における臓器損傷の有無と程度は、理学的所見(疼痛、圧痛、反跳痛、筋性防御、腸雑音消失)と補助的診断方法(血液及び尿検査、腹腔穿刺による腹水検査、超音波検査、X線撮影、CTスキャンなど)の結果を参考として、総合的に診断される。

そして、開腹適応の有無は、臨床症状及び検査所見を総合的に考慮して決定される。すなわち、腹膜刺激症状(悪心、嘔吐、腹痛、圧痛、筋性防御、反跳痛、腸雑音の減弱ないし消失)が時間とともに増強し、始め限局していた症状が腹部全域に広がる傾向がある場合、また、腹部X線撮影で腹腔内遊離ガス、後腹膜ガスが認められた場合は、開腹の適応となる。

しかしながら、一般に、腹部外傷による臓器損傷の診断は、頭部・胸部の損傷や骨折などの診断に比し、直ちに判定できないことも多く、重症な腹部臓器損傷があっても、臨床症状が明確に顕示しないこともあり、その診断が遅れることも稀ではない。

(2) 本件のような交通事故によるハンドル外傷の場合、腹部臓器損傷を伴っているか否かの判断は困難な場合があるが、その判定は、患者の予後を左右するものであり、極めて重要である。

そして、このような二輪車によるハンドル外傷の場合には、肝臓、十二指腸、膵臓、小腸、腸間膜の損傷を疑うべきである。

(3) 十二指腸は、その大部分が後腹膜に位置することから、鈍的外傷による十二指腸損傷では、十二指腸内容は、腹腔内ではなく、後腹膜へ流出することが多いため、他の消化管穿孔と異なり、その損傷による腹膜刺激症状の発現は遅く、受傷初期には、炎症は限局的で、腹膜刺激症状の理学的所見は軽微にしか現われない。すなわち、反跳痛、腸雑音の低下、筋性硬直などの症状が早期に出にくく、また、X線検査で遊離ガスが出現することが遅い。経過観察中、全く無症状の寛解期すらある。

そのため、早期診断は困難であり、看過されやすく、診断及び手術時期が遅れがちである。

(4) しかしながら、いったん腸管穿孔を見落とし、長期の保存的療法となると、痛覚の閾値は高くなり、炎症は拡大しているにもかかわらず、圧痛、筋性防御など腹部全体の炎症性反応は失われ、腹壁はむしろ柔軟となって、穿孔性腹膜炎の診断が難しくなり、腹膜炎が重篤化してしまう。

たとえば、甲第一七号証によると、報告例では、十二指腸損傷と診断できず開腹しなかった例や、初回手術時に十二指腸損傷を見逃すことが約一五パーセントあるといわれ、それらの死亡率は約七一パーセントに達するなど、経過は順調でなく、不幸な転帰をとる場合が多い。

(5) したがって、十二指腸損傷が疑われるときは、手術時期を逸しないために、常にこの可能性を念頭におき、注意深く経過を観察し、頻回にわたり(二、三時間ごと)、全身状態及び腹部症状を繰り返し診察し、腹腔内損傷がないと判断されるまで継続して、経時的な変化を正確に把握していくことが必要である。

そうすれば、腹痛の強さがだんだん増強し、悪心・嘔吐を伴うようになり、また、十二指腸内容による後腹膜の炎症症状が進み、腰背部・睾丸・肩部への放散痛がみられるようになることがわかる。そして、圧痛、筋性防御、反跳痛、腸雑音の消失などの腹膜刺激症状があれば、受傷後十数時間以上経過しているとみてよく、それだけで開腹の適応となる。

(6) また、十二指腸後腹膜部の損傷は、初期の腹部所見が他部消化管の損傷に比して不明瞭なことが多いので、適切な補助診断法、特に、画像診断が重要となる。

すなわち、一般に、消化管破裂の画像診断法としては、単純X線撮影、CTスキャン、ガストログラフィンによる消化管造影の有用性が高い。

十二指腸損傷の場合は、腹部X線写真により、腹腔内遊離ガス及び後腹膜ガスが出現する率は、二〇ないし四〇パーセントと比較的低率であるが、腹腔内遊離ガスや後腹膜ガスを認めた場合は、十二指腸損傷を強く疑うことができる。したがって、十二指腸損傷が疑われる症例では、腹部X線検査を繰り返し行い、後腹膜ガスがないかを検査すべきである。

また、出血性ショックが高度なものを除き、ガストログラフィンによる造影をして造影剤の管腔外漏出がないかを検査することも有用である。

(三)  右認定の事実に鑑みると、交通事故による受傷者の医療にあたる医師としては、十二指腸損傷の症状は、早期にはしばしば不明瞭であって、悪心、嘔吐、腹痛、圧痛、筋性防御、反跳痛、腸雑音の減弱ないし消失等の腹膜刺激症状は、受傷後約数時間経過後に発現することがあるから、受傷機序から推して腸管損傷の疑いがあれば、受傷後約一時間経過後の診察において、腹膜刺激症状を呈しておらず、かつ、腹部X線写真による腹腔内遊離ガス及び後腹膜ガスの出現が認められないからといって、直ちに腸管破裂の疑いを否定すべきではなく、その後も、さらに、経時的に、腹膜刺激症状の発現の有無を観察して診察に努め、必要に応じて、腹部X線検査や超音波検査等を行う義務があるというべきである。

(四)(1)① そこで、右の考え方に基づいて、本件を検討するに、まず、本件において、平成二年三月一八日午前一〇時三〇分ころの単純X線検査において、腹腔内遊離ガス、後腹膜ガスが認められたこと、同日午前一一時四五分ころ開始した手術において、亡昇の十二指腸は、第二部において、その前壁が約八センチメートル、後壁が約七センチメートルにわたって裂けていたこと、そこから漏出した胆汁や消化液等によって、亡昇の腹腔内全体や後腹膜腔がかなり重篤に汚染されていたことから、事後的に判断すれば、第一回診察において、佐次田医師が、上腹部の圧痛は肋骨又は肋軟骨骨折と胸腹壁損傷のみに由来するものであり、十二指腸などの腸管損傷によるものではないとした診断は誤りであった可能性が強い。

②  しかしながら、十二指腸損傷の症状は早期には明確でないことがあり、その診断が困難であることは前記認定のとおりであり、また、亡昇には、上腹部の圧痛以外、腹膜刺激症状はなかったこと、腹腔穿刺により採取した腹水中のアミラーゼ値は、高めではあったが、正常の範囲内であったこと、X線検査において、腹腔内遊離ガス、後腹膜ガスは認められなかったことからすれば、この時点で、佐次田医師が、腸管損傷と診断せず、亡昇を経過観察することとした点について、過失があるということはできない。

(2)①  つぎに、前記のように、佐次田医師は、第一回診察において胆嚢外傷の可能性を考慮していながら、三月一八日午前一時ころから同日午前七時ころまでの間、東江看護婦に対し、経過観察につき具体的な指示をせず、全てを任せたままにした。そして、同日午前五時ころ、東江看護婦から、亡昇の右側腹部の腫脹が背部にまで広がり、増強している旨の報告を受けた際、佐次田医師は、被告病院の医局に居たにもかかわらず、自ら亡昇のもとに来て診察することさえせず、そのまま様子を見るよう指示したのみであった。

②  この点につき、佐次田医師は、当法廷において、この時点で自ら診察しなかった理由として、亡昇は、腹痛が軽減しており、血圧、尿量が保たれていたことから、腹部の腫脹は腹部臓器の損傷に由来する腹膜刺激症状の現れではなく、胸腹壁損傷に由来するものであると判断したためである旨述べている。

③  しかしながら、まず、証人恩田の証言によると、十二指腸の後壁損傷のみの場合は、腹膜刺激症状の発現が遅く、かつ、軽微であることが一般であるが、本件は、前壁損傷もあるので、腹膜刺激症状が理学的所見として発現したものと考えられる。とすると、佐次田医師は、腹壁損傷による腹痛の軽減をもって腹膜刺激症状が発現していないと誤信した可能性がある。また、鎮痛剤であるインダシン座薬を使用したことや亡昇が飲酒していたことによって、腹膜刺激症状による腹痛の診断が影響を受けた可能性も否定できない。

④  そもそも、本件において、佐次田医師は、亡昇の受傷の機序についてハンドル外傷との説明を受けており、第一回診察において、腹水のアミラーゼ値が高めであり、白血球値が正常値よりも高いなどの腹膜炎の徴候を示す事情を認識していたのであるから、実質臓器の損傷による腹腔内出血の状況だけではなく、十二指腸などの腸管損傷の可能性をも常に念頭に置き、腹膜刺激症状を呈することがないか否かをも細心の注意を払って観察しなければならない。

⑤  殊に、本件においては、一八日午前五時の時点で、東江看護婦から、前記のような報告があり、その報告内容は、証人恩田も、「注目しなければいけない所見だと思う。」、「痛みの状況が変化しているので、診察すべきだったと思う。」旨証言しているように、初診時には上腹部の圧痛だけであったものが、腫脹が右側腹部から背部にまで広がって増強しているというのであって(この事実によれば、圧痛は肋軟骨又は肋骨骨折と胸腹壁損傷に由来するものであるとの佐次田医師の初診時の診断は誤りであったというべきである。)、これは、腹膜刺激症状の発現と同様の機序により、後腹膜に腸の内容物等が漏出して炎症を惹起した可能性が高いことを示唆するもので、看過してはならないものであったのであり(なお、被告は、これは、一度止血した血腫が再出血により増強したものか、または、血液の吸収過程に伴って生じたものと主張するが、これは、バイタルサインが安定していたことと合致しない。)、しかも、前記のように、第一回診察において白血球値が正常値よりも高いことが判明していたこと、東江看護婦の前記報告の一時間前に、亡昇はパテックスを貼って欲しいと同看護婦に要望しており、亡昇から腹痛に関して新たな愁訴があったことが認められること、亡昇は、午前一時に嘔吐していることなどの事情を加味して鑑みれば、少なくとも、この時点で、自ら診察し、亡昇の腹部の理学的所見とバイタルサインの把握に努めると共に、背部の腫脹の状況を診察し、X線検査などの補助的診断法をとる必要があるか否かを判断すべきであったというべきである(なお、原告は、佐次田医師は、ガストログラフィンによる造影検査、経鼻胃管から空気を腸管に注入した上でのX線検査、CT検査をすべきであった旨主張するが、これらはいずれも患者に対して侵襲的な検査であって、これらを施行するか否かは、医師の裁量によると考えるべきであり、本件における亡昇の状態などに鑑みると、本件においてこれをしなかったからといって、それだけで直ちに佐次田医師に過失があるとはいえない。)。

⑥  なお、佐次田医師は、腹部外傷の場合は、腹部の理学的所見とバイタルサインの把握が重要である旨述べるが、佐次田医師自身も認めるように、本件においては、一八日午前一〇時三〇分にX線検査をして腹腔内遊離ガスを発見し、開腹適応と判断し、直ちに手術をしたが、十二指腸損傷による腹腔内汚染が重篤な状態であったにもかかわらず、その段階でも、バイタルサインや腹部理学的所見は、開腹適応の様相を呈していなかったことからすれば、十二指腸などの腸管損傷の場合における開腹適応の判断のためには、それらだけでは足りず、必要に応じてX線検査を行うなどの補助的診断法をとる必要があったというべきである。

⑦  以上により、本件において、佐次田医師には、一八日午前五時の時点において経過観察を適切になさなかった過失があると認められる。

⑧  なお、被告は、二四時間以内であれば予後に差は出てこないので本件手術は遅きに失したとは言い難いと主張するが、たとえば、甲第七号証の報告例によると、二四時間以内に手術した二六例では、死亡は三例で、死亡率は一一パーセント、二四時間以上経過して手術した一〇例では、死亡は四例で、死亡率は四〇パーセントとされており、単に、二四時間以内に手術した場合には死亡率が低いというだけであって、二四時間以内に手術をすれば、経過観察義務違反の過失がなくなるというものではない。

⑨  また、沖縄県立八重山病院の勤務態勢や、深夜及び早朝における経過観察であったという事情を考慮すれば、佐次田医師において、経過観察を、第一次的に看護婦に委ねていたことをもって、直ちに同医師に経過観察における注意義務違反があったということはできないが、しかしながら、これは、看護婦において適切な経過観察をし、容態の変化等があれば直ちに医師に報告し、これに対して医師が迅速に診察するという態勢が取られていることを前提として初めていいうることであって、本件のように、看護婦による報告があったにもかかわらず、医師が迅速に診察することを怠った場合には、結局、経過観察を怠った過失を免れることはできないというべきである。

2  手術方法の選択の過失

(一)  佐次田医師は、本件手術に際し、医師として、その有する専門の医学上の知識と技術とをもって、適切な手術方法を選択し、かつ、施行すべき義務がある。

(二)  〈証拠略〉によると、以下の事実が認められる。

(1)① 本件において、亡昇の十二指腸には、第二部に、その前壁には約八センチメートル、後壁には約七センチメートル、それぞれ、縦に裂傷があり、そこから漏出した胆汁や消化液等によって、腹腔内全体や後腹膜腔がかなり重篤に汚染されていた。

② そこで、佐次田医師は、腹腔内と後腹膜腔を生理食塩水で洗浄し、可能なかぎりその汚染を除去した。

③ そして、佐次田医師は、右損傷部の血流がよく、挫滅の程度が比較的軽度であったことから、その部分をアルベルトランバート縫合により単純縫合し、修復部に圧がかからないようにマルコットカテーテルによる十二指腸瘻を造設した。

(2)① 十二指腸損傷に対する手術の基本手技としては、①破裂部の縫合閉鎖、②縫合部の補強、③縫合部の減圧の三つに要約され、これらが種々組み合わされて実施される〔その術式には、破裂部閉鎖の基本術式(単純縫合閉鎖、空腸漿膜パッチ、空腸粘膜パッチ)とそれを保護するための付加術式(胃空腸吻合、迷走神経切断、消化管内圧の減圧のための胃瘻、十二指腸瘻、胆道内圧の減圧のための胆嚢瘻、総胆管チューブ挿入)がある。〕。

② 受傷後早期の手術例で、破裂部の挫滅、浮腫が軽度で欠損が小さい場合は、破裂部のデブリドマンの後に、二層に縫合、閉鎖する。

③ 十二指腸口径の二分の一ないし三分の一の壁の欠損を生じたもの、受傷後時間が経過してからの手術例、破裂口の損傷の大きいもの、浮腫や血行障害のある場合には、空腸漿膜パッチによる閉鎖(十二指腸壁欠損部を空腸の漿膜で被覆する方法)を行う。

④ 十二指腸壁の欠損がその全周の半分以上に及ぶ場合には、漿膜パッチは、管腔の狭窄をきたすので使用できない。この場合には、空腸粘膜パッチ(空腸側壁を切開して、十二指腸欠損部との間に側側吻合の形を作って破裂部の閉鎖を行う。)による閉鎖を行う。

⑤ 組織の挫滅を伴う破裂、挫滅を伴う完全離断症例、中等度以上の膵損傷を合併するものなど、種々の要因により十二指腸縫合部の完全な減圧を要するものの場合には、空置的胃切除術(幽門側三分の二胃切除を行い、胃空腸吻合を行う。)を行う。

(3)① このように、十二指腸損傷の場合には、損傷の部位、損傷の程度、受傷から手術までの時間、後腹膜の汚染の程度、合併臓器損傷の有無などを考慮し、そして、合併症として破裂部の縫合不全が多いことを念頭におき、できるだけかかる合併症をきたさない適切な術式を選択しなければならない。

② 単純縫合閉鎖は、縫合不全の合併症が起こりうることが種々報告されているが、現実には、最も多く施行されている。

③ 十二指腸の後腹膜部分は漿膜が欠如するので、単純併合では、縫合不全の発生が危惧され、補強術、減圧術を併用すべきである。

④ 特に、縫合不全を防ぐためには、十二指腸瘻などによる縫合部の減圧術が必要である。

⑤ なお、空腸漿膜パッチ法によっても、縫合不全となる場合があり、これが絶対的というものではない。

(三)(1)  右認定の事実に鑑みると、一般的に、十二指腸損傷の手術にあたる医師としては、損傷の程度、損傷後の経過時間、周辺臓器の汚染あるいは炎症の程度などの局所の状況、さらに、患者の全身状態などに鑑み、そして、合併症として破裂部の縫合不全が多いことを念頭におき、可能なかぎりかかる合併症をきたさない適切な術式を選択しなければならない義務があるというべきである。

(2) 右の考え方に基づいて、本件を検討すると、まず、本件の場合、亡昇の十二指腸の損傷が前壁だけでなく後壁にもあったこと、また、その部分の大きさが、いずれも七ないし八センチメートルと大きいことを考えると、縫合不全などの合併症を防ぐためには、単純縫合ではなく、何らかの補強術をとるべきであったとも考えられる。

(3) しかしながら、他方、本件の場合、損傷が十二指腸の前壁と後壁の双方にあったため、空腸漿膜パッチを採用することは難しく、また、証人石田によると、文献的にも、本件のように、十二指腸の前壁と後壁にそれぞれ裂傷が生じている場合の修復法について記述されたものがないことが認められることからすれば、どのような術式を選択するか非常に難しかったといえる。

したがって、補強術をとることなく、損傷部の血流がよいことや挫滅の程度が比較的軽度であることを理由にして、単純縫合を選択した佐次田医師の本件術式の選択は、減圧術、すなわち、修復部に圧がかからないように十二指腸瘻を造設していることをも合わせ鑑みれば、これを適切でなかったとまでいうことはできず、この点について、佐次田医師には過失がないとするのが相当である。

四  因果関係

1  十二指腸損傷の場合の救命の方法は、基本的には、前記のように、開腹手術を行い、当該損傷の部位を縫合する措置をとることである。

2  そこで、平成二年三月一八日午前五時ころ、佐次田医師が亡昇を診察し、亡昇の十二指腸損傷が発見できたとした場合、亡昇が救命される蓋然性があったかどうかを検討する。

3  前記二で認定した事実を総合すれば、佐次田医師は、同日午前五時ころ適切に亡昇の診察を行っていれば、十二指腸損傷の蓋然性が高いとの診断に至ることができたはずであり、殊に、前記認定のとおり、同日午前一一時四五分ころに開腹手術を実施したところ、亡昇の腹腔内全体や後腹膜腔が漏出した胆汁や消化液等によってかなり重篤に汚染されていたことからすれば、午前五時ころに適切な診断をしていれば、早期に開腹適応と診断し、亡昇に対して開腹手術を行うことは十分可能であったというべきである。

4  そして、乙第一五号証によると、十二指腸損傷は、受傷から手術までの時間が長いほど予後が悪いとされており、佐次田医師自身も、証人尋問(第一回)において、「もっと早く開腹すれば助かっていた可能性は高いだろうと思う。」旨供述している。

5  以上によれば、佐次田医師が第一回診察以降も適切な経過観察を怠っていなければ、少なくとも、東江看護婦から亡昇の腹部の腫脹の増強について報告があった午前五時の時点で、十二指腸損傷の蓋然性が高いことを当然疑い得たはずであり、そして、それに基づき早期に開腹手術をしていれば、亡昇を救命できた蓋然性は高かったというべきである。

したがって、佐次田医師は、第一回診察以降の適切な経過観察を怠ったことにより、十二指腸損傷の蓋然性の高いことを看過して、開腹手術を受ける時期を遅らせたのであるから、佐次田医師の経過観察義務違反と亡昇の死亡との間には因果関係があると認めるのが相当である。

6  なお、佐次田医師は、陳述書(乙第八号証)において、「午前六時四〇分ころ診察を行った際にも、腹膜刺激症状は軽快していたのであり、午前五時ころの診察所見で開腹の時期が変わったとは思えない。」旨述べる。

しかしながら、佐次田医師は、東江看護婦から亡昇の腹部の腫脹の増強について報告があった午前五時の時点でも自ら診察していないことからすれば、そもそも、午前六時四〇分ころ診察を行った際に、佐次田医師が、亡昇について、十二指腸損傷の可能性を疑い、それを念頭に置き、特に、亡昇の背部に広がった腫脹に注目して診察したかどうかは疑わしく、前記の主張は、その立論の前提条件を欠くといわなければならない。

五  被告の責任

以上検討したところによると、本件において、佐次田医師には、経過観察義務違反という過失があること、佐次田医師の右過失と亡昇の死亡との間には因果関係があることが認められる。

また、前掲第五号証、証人佐次田の証言(第一回)によると、佐次田医師は、本件当時、被告が設置管理する沖縄県立八重山病院の嘱託医として同病院において医療行為に従事していたこと、佐次田医師は、亡昇に対する本件医療行為を被告の医療事業の執行として行ったことがそれぞれ認められる。

したがって、被告は、民法七一五条一項により、原告らの受けた損害を賠償すべき義務がある。

六  損害

1  亡昇の損害

(一)  逸失利益

(1) 原告保、同泉の各本人尋問の結果によれば、亡昇は、本件当時、沖縄県八重山郡竹富町で民宿「泉屋」を経営していたこと、民宿「泉屋」は、亡昇と原告達子とで運営し、原告泉が手伝っていたことが認められる。そこで、本件当時の民宿「泉屋」の年間所得額について検討する。

弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第二〇号証の一によれば、民宿「泉屋」と同業種、同地域の民宿「小浜荘」の平均原価率は約27.7パーセント、平均経費率は約44.2パーセントであること、これに、民宿「泉屋」の年間客数を四〇一四人として計算すると、民宿「泉屋」の年間所得額は金四五一万一七三六円となることが認められる〔4000円×4014人×{1−(0.278+0.442)}〕。

また、亡昇の民宿「泉屋」の経営に対する寄与率は六〇パーセントとするのが相当であるから、亡昇の年間収入額は、金二七〇万七〇四一円となる。

(2) 前記のように、亡昇は死亡当時六四歳であったことが認められ、また、平成二年度簡易生命表によれば、その平均余命は16.90年であり、就労可能年数は、簡易生命表の二分の一が相当と認められるから、8.45年であり、生活費として四〇パーセントを控除し、新ホフマン式計算方法により中間利息を控除して、亡昇の逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、その合計額は、金一〇七〇万一三六六円となる。

[計算式]

金270万7041円×6.5886(8年に相当する新ホフマン係数)×(1−0.4)=金1070万1366円

(二)  慰謝料

原告保、同比嘉の各本人尋問の結果によれば、亡昇は、本件当時、健康であったこと、また、沖縄県八重山郡竹富町で民宿を経営し、その一方で、同町教育委員会の委員長を務めるなど、公私ともに活躍中であったことが認められ、その他諸般の事情を総合考慮すると、本件による亡昇の精神的苦痛を慰謝するためには、金二〇〇〇万円が相当である。

2  葬儀費用

弁論の全趣旨によれば、原告保は、亡昇の葬儀費用として、金一〇〇万円を支出したことが認められ、これは、本件と相当因果関係のある損害ということができる。

3 過失相殺法理の類推による減額

亡昇は、佐次田医師の過失がなければ救命されていたであろうことは、前記二で認定したとおりである。

しかしながら、他方、前記乙第一五、第一八号証、証人佐次田の証言(第一回、第二回)を総合すれば、十二指腸損傷は、それが後腹膜損傷である場合、死亡率が高く(たとえば、乙一五号証によると一二ないし三五パーセント、乙第一八号証における自験例では45.5パーセント)、佐次田医師による経過観察が適切に行われたとしても、亡昇が死亡に至る可能性は少なからずあったことが認められ、また、本件においては、亡昇が、深夜、飲酒の上、原動機付二輪車を運転し、自らの過失による交通事故を起こしていなかったならば、そもそも、その生命を失うことがなかったということができる。

右のような事情が存する本件においては、不法行為制度の目的が損害の公平な分担であることに鑑みると、亡昇の死亡による損害を全額被告の負担とすることは相当ではなく、過失相殺の法理を類推することが当事者間の公平の要請に適うというべきである。

そして、その減額の割合は、右各事実その他本件交通事故及びその後の医療事故にかかる諸般の事情を勘案すると、全損害の五〇パーセントとするのが相当である。

したがって、被告に対する損害賠償請求権の額は、亡昇が金一五三五万〇六八三円、原告保が金五〇万円となる。

4  相続

亡昇が平成二年三月二八日に死亡し、原告達子が当時亡昇の妻であったこと並びに原告保、同篤、同瑞江、同近代及び同泉がいずれも亡昇の子であることが認められるから、原告らは、亡昇の死亡により、それぞれ、その法定相続分に従い、右請求権を、原告達子は金七六七万五三四一円、原告保、同篤、同瑞江、同近代及び同泉は各金一五三万五〇六八円ずつ相続したと認められる。

5  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らが本訴提起を原告ら代理人に委任し、その報酬を原告らが支払うことになっていることが認められるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、本件と因果関係のある損害として被告に賠償を求めうる弁護士費用の額は、金一五〇万円とするのが相当である。

七  結論

よって、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告達子が金八四二万五三四一円、原告保が金二一八万五〇六八円及び同篤、同瑞江、同近代、同泉がそれぞれ金一六八万五〇六八円並びにこれらに対する本訴状送達の日の翌日である平成二年八月一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官稲葉耶季 裁判官近藤昌昭 裁判官平塚浩司)

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